「悪夢ちゃん」スペシャルドラマ——現代表現における「夢」

2016年1月6日ドラマドラマ

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悪魔ちゃんのドラマを見た。最初はコミカルなあまり面白くないドラマなんだと勝手に思っていたのだが、意外と面白い。『しゅごキャラ!』と同じ路線の面白さがある。つまり、未来が分かってしまう少女は、自分自身の未来のみが空虚な存在としてうつるというジレンマ」をどのように解消するのか……という命題の解決策が、このスペシャルドラマでは提示されている。

あらすじ

「悪夢ちゃん」スペシャルドラマは、なんといってもももクロがドラマに出演している点がキモである。それも、チョイ役ではなく、彼女達のバックグラウンドを必要十分に生かし切っている点は評価に値するだろう。というわけで、あらすじ。

主人公の悪夢ちゃん(古藤 結衣子)は夢を見ることでその人物に起こりうる困難を予測することが出来る。一方その担任教師(武戸井 彩未先生)は、明晰夢を見ることができ、また、伝説や伝記に詳しいために、機材を用いて映像化した悪夢ちゃんの夢を解釈することが出来る。

今回、その小学校と近隣の高校が合同で発表会を行うこととなる。小学校の代表として悪夢ちゃんが、高校の代表として生徒会長(玉井詩織)が選ばれた。高校にはダンス部(ももクロ)がいるが、玉井は自分にはダンスの才能が無いと考え、以前にダンス部を退部している。

その中で「夢を発表する」という項目が行われることとなった。ダンス部を代表して「トップダンサーになりたい」という夢を披露した高城に対し、玉井は「そんな夢、いつまで見ているつもりなの」と一撃。一方悪夢ちゃんは、自分の夢を書くことが出来なかった。

そうこうしているうちに当日が近づくが、なんと小学校には爆破予告が現れ、高校では全ての窓ガラスが割られてしまう。ちょうど「高校のダンス部メンバーと玉石折りに何かが起こる」「その鍵は、養護教諭の琴葉先生にある」という悪夢をみていた悪夢ちゃんと彩未先生は、養護教諭を疑い見に行くが、彼女は単純に多くの生徒や外部の人間の相談に対応しているだけであった。しかしその中で、窓ガラスを割った犯人は玉井詩織であること、彼女はダンス部メンバーに対して嫉妬しており、そのために行動に至ったことが明らかとなる。また、爆破予告については、科学的な出し物を行いたかった二人組が、余興のために行った者であったことが明らかとなる。しかし彼らは、注意を受けても辞めることをせず、本番に向けて着々と準備をしていた。

こうして、再び学年交流会がスタートする。発表が終わったあと、先生は「前回夢を発表出来なかった悪夢ちゃんに、もう一度時間を与えて欲しい」と話し、悪夢ちゃんが登壇する。しかし彼女の夢は「夢を決める」ということ。全体的にクスクスと笑われてしまい、いたたまれない気分に包まれてしまう。しかし先生はそこで全員を「人の夢を笑うな」と一喝。夢は持っていて良い物である。努力をすれば夢はかなう。誰の夢も笑ってはいけない、と解く。そしてそののち、玉井詩織に言及する。ダンス部メンバー(ももクロ)は、玉井の告白に対し、「どうして最初に言ってくれなかったんだ」「もう一度やろう」と言うが、玉井は「もう遅い」と言う。

多度一喝する彩未先生。「自分も踊るから、だから玉井も踊った方が良い」とさとし、全員でダンスが始まる。ダンスの途中、悪魔ちゃんは、彼女達が大きなステージで歌っている様子を見る。

一方、科学的な発表を行いたかった二人組は、体育館内に花火を打ち上げる準備をしていた。大惨事になる夢を見、予見した研究所のメンバーは、彼らを間一髪で止め、養護の琴葉先生と協力しつつ、外に盛大な花火を打ち上げる。

そして、劇場版へと話は続いていくのであった……

見所・解釈——「未来が見える者は、自分の未来だけを知ることが出来ない」

本作が根底に持つテーマは、寝ている間に抱く「夢」である。その「夢」に対し、同じ単語である将来の希望としての「夢」を当てることで、世界を作り出している。その中には2人だけ仲間はずれがいた。

本ドラマでさんざん言われる主張は、「夢を持つのは良いことだ、誰の夢も否定できない、夢を叶えることは出来る」というものである。それ自体は大変ポジティブであり、だからこそストーリーにはさしたる魅力がなくなってしまう。そこで重要な役割を果たすのが、古藤結衣子(悪魔ちゃん)であり、ももクロのメンバーである。

悪魔ちゃんこと古藤 結衣子のジレンマは、ストーリーの根幹である。彼女は「悪夢」を見る事で、他人の将来を見通すことが出来てしまう。しかし自分の未来を見る事は出来ず、かつ「悪夢」しかみることがないため、自身の将来に対しては大変悲観的となっている。だからこそ、彼女は夢を持てない。夢を持つと言うことは、彼女にとって「否定的な結末に自分を置く」ことにつながるためである。おそらくこの構図は、多くのまんがやアニメのストーリーと近寄っている。さらに、「誰かが犠牲になることによって人間は幸福を抱くことが出来る」と考えることも出来るだろう。王道ではあるが、作品として無難な面白さを作り上げることに成功しているのだ。

もうひとつの主役はももクロである。「玉井詩織が抜けている」という状態から、先生に諭され、「夢」を持つことで再び五人で結成することとなる。まさにこれは、彼女達が歩んだ道筋そのものであり、だからこそ分かりやすくも現実感をもたらしているのだ。

最終的に、悪魔ちゃんは「ももクロのメンバーが一流のアイドルグループに成長する」という確証を得る。それはまさに、ドラマ内の彼女達の今後の成長を「証明」しているものであり、また、悪夢ちゃん自身にとっても、「ポジティブな内容を含む『確証』を得ることが出来る」という自信に繋がるのである。先に挙げた結衣子のジレンマとももクロの物語を交差させることで、陳腐では終わらない内容を作り上げたと言えよう。

一見して単調・コミカル・非現実的な面白くないドラマにうつるが、侮れない。そして、「未来は絶対にかなう」「未来を持たなくてはならない」と主張するのでは無く、「世界への悲観や自分自身のために、本当に抱きたい夢を持つことが出来ない人間」を軸とすることで、悪夢ちゃんの置かれた環境の空しさを視聴者に感じさせながら、最終的に彼女が最も「成長する」という事実を、まざまざと見せつけられる。

『しゅごキャラ!』に代表されるとおり、何かを将来の夢のメタファーとして用いることはよく使われている。本作ではそのメタファーとして、「寝ている間に見る夢」を選択している。この選択は非常に難しいものであろう。意外と結びつかないこの両者は、下手をしたら「夢オチ」で終わってしまい、物語としてお粗末な者に仕上がりかねない。しかし本シリーズは、悪夢や明晰夢といった概念を用いることで、その概念を見事に覆した。「他人の暗い将来が悪夢を通じて分かってしまうからこそ、自分の将来を見通せない」というジレンマに対し、「悪夢ではない夢だって見る事が出来る。だから将来の夢をもっても良い」と、直接的にはいわずとも、様々なメタファーや例を使用し多種多様な表現方法を持って表していく「ポジティブさ」は爽快であり、視聴の価値があると言えるであろう。